もしキミが骨折したら同じ部分の僕の骨をあげよう。

少し前の話ですが、凄く疲弊していました。

 

2ヶ月ぐらい、じんましんが出てました。

 

誰に対して、とかじゃなく、初めて踏み込んだ世界での負の衝撃が凄くて。

 

「こうゆうもんなん?」

 

「え、そうゆう世界なん?」

 

「てかおかしいと思ってんの僕だけ?」

 

「僕がおかしい?」

 

けど責任は果たそう、きちんとやり遂げよう、弱みとかツッコミどころがないように、

 

と、本当に寝ずに毎日毎日向き合いました。

 

そしたらその分クオリティーは上がる。

 

準備も十分。

 

けど周りを見渡すと、誰もそこまでを求めてませんでした。

 

僕は普段から、良くも悪くも「人は人、自分は自分」と思いがちなんですけど、

 

この件に関しては、例え様のない感情を押し殺すように殻に閉じこもり、

 

勝手に孤独を感じていました。

 

そんなとき、話を聞いてくれた人がいました。

 

その人はその世界でずっと生きてきて、その世界の常識やルールに精通している人でした。

 

そして僕が感じていた

 

「これ、おかしいよな?」

 

って部分を、

 

「それ、間違いなくおかしいです」

 

と、言ってくれた。

 

そして、言葉としてもまとまらない、ただの愚痴を長い時間、

 

本当に長い時間ずっと聞いてくれました。

 

心が救われる、というのはこうゆうことなのか、と思ったほど、

 

翌朝の寝起きが清々しかった。

 

前向きになれた。

 

ただただ頑張ればいい、と思えた。

 

そして、なんとかやり遂げれた僕は、色んな事を学べた、すごく良い経験ができた、

 

と、思えるようになり、嫌いになりそうだった世界をまた好きになれた。

 

何か、物よりも大切なモノをくれた人、

 

「この人がもし何かに困ったら、何でもしよう」

 

と、心に誓いました。

 

そして、その人がツラい状況にいるらしい、と聞き、

 

連絡を取り話を聞くと、ツラいなんて次元の話じゃない、

 

僕だったら生きてる自信がないぐらいの状況でした。

 

そんな中、その人は前を向こうと一生懸命でした。

 

いまも一生懸命です。

 

頑張ってます。

 

「この人がもし何かに困ったら、何でもしよう」

 

なんて誓ったくせに、

 

何もできない自分の無力さが情けない。

 

けど、もし話を聞いてくれと言われればいつでも聞きに行きます。

 

みかんの缶詰食べたいと言われればいつでも買って持って行きます。

 

肋骨よこせと言われたら本当にいつでも肋骨あげます。

 

 

 

全てが解決して全てを乗り越えて、また前みたいに笑って、前みたいに歌う彼女を早く見たい。

 

「この人の横でギターを弾きたい!」

 

と思わせてくれて、その願いを叶えてくれて、

 

「いや、もっとギターの音量上げてください」と、僕に言ったロックのボーカリスト

 

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