ちょうど1年前。
2020年2月中旬、大阪のライブハウスでクラスター発生し、
そのニュースが流れ広まり出した1週間後にCapriceはワンマンLIVEをしました。
たくさんの人に支えてもらって最高の景色を見せてもらって、本当に嬉しかった。
朝方うちに帰り、汗まみれになってるギターや機材を拭き、LIVEの映像を観ていたのにいつの間にか寝ていた。
起きてシャワーを浴びてタバコに火をつけてテレビをつけると、「新型肺炎」「マスク求め行列」「感染さらに拡大」などという文字や言葉が溢れていた。
その瞬間、「ワンマンに来てくれた人、無事だろうか?」という思いでいっぱいになった。
「2週間経って発症しなければ感染していない」ぐらいの情報しかなかったから、とにかく祈った。
ワンマンに来てくれた人達、どうか無事でいて、と。
本当に怖かった。
「ワンマンLIVEさえなければ...」と、自分自身がそう思ってしまうかもしれない、と思うと怖かった。
そして、誰かが感染したという連絡もなく2週間が過ぎ、ひとまず安心した。
それがちょうど1年前の今頃。
これ書いてても思い出すだけで吐きそうになるほど精神的にキツかった2週間でした。
Capriceや僕らや僕がどうこう言われるなんてどうでもよくて、あの日に感じた暖かくて優しくて何か大切なものを分かち合えた気がした人達が、肉体的にも精神的にも苦しむところを想像すると、本当にキツかった。
そして以降、僕らだけじゃなく周りのバンド、メジャーも含めて不特定多数が集まるコンサートは「自粛」という流れになる。
「季節が変わる頃にはまたLIVEできる」なんて期待は淡色に白けていった。
けど運良くウチのリーダーは見た目クールなクセに内側は燃え盛ってるフレイザードみたいな人なんで、
「有観客できないなら無観客で配信LIVEやんぞ!」って、すぐに動いてくれてバンドに次の目的地をくれた。
で、この1年で3回も配信LIVEできた。
「配信なんかLIVEじゃないよな」って言いながらLIVEがないだけでSNSの更新もできないクソバンドやクソバンドマンは今どこで何してんだよ!
意地張ってないでまたバンドやろうよ!対バンしようよ!いつか戻ってこいよ!
話は逸れたけど。
人の慣れや不感気味な世の中も含めて、
当たり前のことが、当たり前じゃなくなってきてるのが、当たり前になってきてる。
わしは某環境大臣か。
何が正しいとか正しくないなんて、自分の中にしかない。
自分の中の正義しか確かなものなんてない。
自分が正しいと思うことをやればいい。
でもそんな正義が、ときに行き過ぎて誰かを傷付けて、正義ってなんだっけな?なんて思ったりして。
僕たちが小さい頃に憧れたヒーローは正義をもって悪に立ち向かったけど、正義の反対は悪じゃない。
「正義の反対は、また別の正義」なんですよね。
この1年「正義」という言葉をめちゃくちゃ考えた。
「正義という言葉を使って何かをしたときに、何を守れたか?」と考えたときに、本当に守れたものはあったかどうか、という結論に至った。
「マスクの奪い合いやめよう!こんなことしちゃダメだよ!」なんて言いながらその光景を顔出しでSNSにあげて何を守ったん?
それをリツイートして何を守ろうとしたん?
この1年長かったですか?
短かったですか?
そんな中で、守ろうとしたもの、1つでも守れたんなら、そんな自分を褒めてあげてください。
そしてCaprice、4度目となる配信LIVEにお誘いいただきました。
主催の鈴川愛依さんは、お忙しい中、件のワンマンLIVEにも来てくださり、ケガをしていた右手に張ろうとしていた絆創膏を「記念にいただいて帰ります!」と奪い去ってくれました、ありがとうございました。
ちなみに僕が中学の頃に密かに恋をしていたバスケ部の先輩に似ているので、目を見て話せません、ありがとうございました。
ちなみにちなみに、ウチのネコは今日も元気です。