ある猫の話〜後編〜
「なんとかします」
そう言ったは良いものの、正直、どうしていいのか分かりませんでした。
少し考えて、里親を探してあげようと思い、里親募集の相談と、
何より里親募集するにもまずは子猫自身の健康状態が分からないと、
自分が応募する立場だったらスルーしてしまうだろうな、と思い
近所の動物病院に連れて行きました。
受付を済ませ、診察が始まりました。
そこで目に飛び込んできたのは待合室の壁一面に貼られた「里親募集」の張り紙。
大げさじゃなく、20件ぐらいあって、「僕の連れてきた子猫も里親、見つからないんじゃないか?」と思いました。
診察は15分ぐらいで済み、会計待ちの間、病院のスタッフさんに話を聞いたのですが、
やはり里親募集で貰われて行く子は少ない、と。
そうゆう子達は里親が見つかるまでの間、動物病院で献血用として飼うらしいですが、
スタッフさん達は愛情を注ぎ大切に育てていますが、飼える数にも限界がある、と。
そして病院でも飼えない子達がどうなるかは、想像に難くありません。
僕は当時、一人暮らしで仕事も忙しく、それでも空いた時間はバンド、
何より住んでいる部屋はペット禁止。
そして1つの答えが僕の頭の中を巡りました。
「元々、僕が手を出さなければ、この子猫は死んでいた。里親もずっと見つからずに命のタライ回しになるぐらいなら、
僕自身の手で保健所に連れて行って処分してあげて、僕がこの子猫の命を背負ってあげよう。
誰かに責任を押し付けるぐらいなら僕が背負おう」
ペットを飼う=最期を看取ってあげる、だと思っていました。
いまもそう思っていますが...。
今夜だけ、いっぱい撫でてあげていっぱい美味しいご飯を食べさせてあげて、
束の間でも幸せを、生まれてきて良かったとひとときでも思ってもらってから、
翌朝、保健所に連れて行こう、と。
膝の上に抱えた段ボール箱の上部から子猫を覗くと、震えていました。
まるで僕の考えを全て知ったかのように、震えて、あんなに不安そうにピーピー鳴いていたのに、
静かに、うずくまって、震えていました。
それを見て何かが僕の中で振り切れました。
「...ウチ、来る?」
と声に出して聞きました。
子猫は震えながら顔を上げ、しばらく僕を見てから
「...ぷー」
と鳴きました。
お会計に呼ばれて、獣医さんに
「この子猫ちゃん、どうされますか?」
と神妙な面持ちで聞かれました。
「飼います」
即答でした。
獣医さんもほっとしたかのように、表情が緩み
「では診察券をお作りしますね。お名前はまた決められたら記入しますので、空けておきますね」
と、言ってくれましたが
「いえ、『ぷーすけ』って書いてください」
と僕が言うと、
「あぁ、さっき『ぷー』って鳴いてましたもんね(笑)」
って、「ウチ来る?」のくだり聞かれてたのかと思ったら恥ずかし!と思いましたが...
診察の結果、特に病気もなく寄生虫もおらず、ただ少し月齢にしては身体が小さいので、
栄養のあるご飯をしっかり食べれば丈夫で元気に育ちます、とのこと。
獣医さんが「よかったね」と子猫に声をかけると、安心したかのようにスヤスヤと眠っていました。
それから6年経ち、獣医さんの言ったとおり、ぷーすけは丈夫で元気に育っています。
元気過ぎて、毎日、「こりゃ!ぷーすけぇ!こりゃぁあ〜!」とドタバタしてます。
そんなにベタベタする猫ではないですが、1日に何度か寄ってきて膝の上に乗ったり、
寝転んだ僕のお腹の上に乗ってきて、家が倒壊するんじゃないか、と思うほど大きなゴロゴロを響き渡らせてます。
飼うと決めたときの覚悟は、「翌朝、保健所に連れていく」という覚悟と同じかそれ以上のものでした。
いまだってそうです。
もし僕が病気やケガをして、ぷーすけを飼えない状況になって、誰かに押し付けるようになるぐらいなら、
保健所に連れて行くのは僕の役目だと思っています。
ペットを飼うということは、そうゆうことなんだと思ってます。
言葉を話さない動物たちが幸せかどうかなんて、人間には分かりません。
窓の外を眺めるぷーすけを見ていると、
「子どもを作ることもできず、室内で15年生きるより、
外で元気に走り回って、子ども作って濃い5年を生きる方が幸せなのかな?」
と、思ったりもします。
でも僕は、外で走り回ることなんか比べ物にならないぐらいの幸せを、
飼い主が思う「ウチのペット」の思い付く限りの幸せをあげ続ければ良い、と思っています。
たまに不安になるから聞くんですけどね。
「ぷーすけはこれで本当に幸せやったのかい?」
すると、必ず
「ぷー」
と答えてくれます。
部屋中に大きなゴロゴロを響き渡らせながら。
※ちなみに、「ペット禁止」の件については、管理会社立ち合いの元、大家さんと話し合い、
「猫を飼うことにより生じる物件への損害が出た場合は弁償、また近隣とトラブルになった場合も全て対応し弁償、その後退去します」
と一筆書き、理解と了解を得ました。